左の写真のように港屋旅館を出てすぐに「旧甚の丸邸」への矢印看板があります。この目の前の階段を上がり突き当りがその建物です。左下にの写真には、その矢印の拡大したものです。右下の写真は近くにある石碑です。
林芙美子(はやし ふみこ)は、日本の小説家であり、詩情豊かな文体で暗い現実をリアルに描写する作風で知られています。彼女の作品は、幼少期からの不遇の半生を綴った自伝的なものから客観的な小説まで幅広くあります。
以下は、林芙美子についての詳細です。
①生涯と経歴
林芙美子は1903年12月31日に山口県下関市で生まれました。
彼女は尾道市立高等女学校を卒業し、その後さまざまな職業を経験しました。
928年には自伝的な小説『放浪記』がベストセラーとなり、詩集『蒼馬を見たり』や『風琴と魚の町』などで文名を高めました。
戦中は大陸や南方に従軍して短編を執筆しました。
②代表作
・『放浪記』(1928年):幼少期からの苦難を綴った自伝的な作品。
・『風琴と魚の町』(1931年):詩情豊かな文体で描かれた作品。
・『晩菊』(1948年):戦後に発表された作品。
③人物
・林芙美子は詩人でもあり、彼女の作品は暗い現実をリアルに描写しています。
・彼女の生涯は波瀾万丈で、批判の的になることもありましたが、戦後の六年間は日本人の悲しみを書き続けたと言われてい
ます。
『放浪記』(ほうろうき)は、作家の林芙美子が自らの日記をもとに放浪生活の体験を書き綴った自伝的小説です。この作品は、第一次世界大戦後の暗い東京で、飢えと絶望に苦しみながらもしたたかに生き抜く「私」が主人公となっています。
以下は、『放浪記』のあらすじの要点です。
①主人公
- 「私」は宿命的な放浪者であり、古里を持たない存在です。
- 彼女は古里を持たないため、旅が彼女の故郷となります。
②ストーリー
- 主人公は飢えと絶望に苦しみながらも、夜店商人、セルロイド女工、カフェの女給などの職を転々とします。
- 初恋の相手である「島の男」との恋は破れ、彼女は様々な困難に立ち向かいます。
- ひどい貧困にもめげず、あっけらかんとした姿勢が多くの読者を引きつけ、この作品はベストセラーとなりました。
『放浪記』は、林芙美子の波瀾万丈の人生を詩情豊かに描いた作品であり、彼女の強さと生きる力を称賛します。
舞台化、映画化、テレビドラマ化されたことでも知られています。以下は、舞台や映画での主演者についての詳細です。
1. 舞台化
- 1961年には菊田一夫の脚本で、森光子が主演して舞台化されました。
- 初演は東京の芸術座で行われ、その後も同劇場で公演が続き、通算2017回に達しました。
- 2005年以降は帝国劇場やシアタークリエで上演されました。
2. 映画化
- 1935年にはP.C.L.映画製作所によって映画化され、キャストには夏川静江、藤原釜足、滝沢修、堤真佐子らが出演しました。
- 1954年には東映によって新たな映画版が制作され、キャストには早瀬ふみ子、中島文吾らが出演しました。
- 1962年には宝塚映画(現・宝塚映像)製作・東宝配給による映画版が公開され、林ふみ子役を高峰秀子が演じました。
3. テレビドラマ化
- 1961年にNHKでテレビドラマ版が放送され、小林千登勢、本間文子、須賀不二男らが出演しました。
- 1997年にはテレビ東京で仲間由紀恵主演で放送されました。
森光子さんが主演した舞台「放浪記」には、興味深いエピソードがたくさんあります。
1. でんぐり返しのシーン
- 「放浪記」の舞台で、森光子さんが演じる林芙美子が喜びのあまりでんぐり返しをするシーンは有名です。
- 「森光子といえばでんぐり返し」「放浪記と言えばでんぐり返し」と言われ、劇中最大の見所とされていました。
- しかし、年齢的な問題から2008年以降の公演ではそのシーンはやめられ、代わりに万歳三唱をすることになりました。
2. 公演回数の記録
- 「放浪記」は日本最長上演回数を記録しています。森光子さんは初演から死去まで変更されずに主演を続け、公演回数は
2017回に達しました。
- 1990年には公演回数1000回を、2009年には森光子さんの89歳の誕生日に『放浪記』上演2000回を達成しました。
3. 仲間由紀恵の主演
- 2015年には仲間由紀恵さんが主演で「放浪記」が舞台で復活しました。
- 仲間由紀恵さんは初演の主演女優である森光子さんとは親交があり、共演経験もあることから、注目されました。
階段を上がると「伊豆の里 旧甚の丸邸」がありました。建物は石造りの頑丈そうな建物でした。また白い看板も見えます。
伊豆大島には、伝説的な作家**川端康成**の小説「伊豆の踊子」の舞台となった情緒豊かなエリアがあります。その一部が「伊豆の里」、または「波浮港踊子の里」と呼ばれています。ここは、旧甚の丸邸などが残る港町で、かつて旅芸人一座が園芸を見せた場所でもあります。急な階段の先には、美空ひばりさんや山口百恵さん、津川雅彦さん、高橋英樹さん、吉永小百合さんなどが訪れた場所、「伊豆の踊子資料館」があります。仕掛けで動く人形や静かな家屋の中で響く音声が、この風情ある港町を彩っています。
伊豆大島波浮港踊子の里は、午前9時から午後4時まで営業しており、休業日はありません。所在地は東京都大島町波浮港です。訪れる際は、元町港から車で約30分の距離にあります。
この風光明媚なエリアで、川端康成の小説の世界を感じてみてください。ただし、掲載されている情報や写真は最新のものではない場合があるため、事前にご確認いただくことをお勧めします。
旧甚の丸邸は、東京都大島町にある明治時代に建築された旧家です。この場所は、伊豆大島の南端に位置する波浮港(はぶみなと)にあります。波浮港は、承和5年(838年)にマグマ水蒸気爆発でできた火口を掘削した天然の良港で、甚の丸邸は網元で、踊子の里と呼ばれる一帯は波浮の繁栄の中心地でした。
この旧甚の丸邸は、石造の2階建てで、なまこ壁が施されており、伊豆下田の影響を受けていることがわかります。1階は生活空間で、2階は蚕を飼育して繭を生産していました。また、踊子坂(旧港屋旅館前の坂)を上りきった場所にあり、宴席が設けられると踊子を呼んで客人をもてなしたと言われています。この踊子たちは、川端康成の小説『伊豆の踊子』に登場する踊子たちで、波浮港の繁栄を今に伝えています。
旧甚の丸邸は、東京都大島町波浮港18-3に位置しています。
なまこ壁(または海鼠壁)は、日本の伝統的な壁塗りの様式の一つで、土蔵などに用いられます。この壁は平らな瓦を壁に張りつけ、瓦の目地(継ぎ目)に漆喰を盛り上げて塗る工法によって作られます。目地の盛り上がった形が、海に住む海鼠(なまこ)に似ていることからその名前が付けられました。
主な特徴と機能は次の通りです:
- 火性: なまこ壁は潮風や台風などの自然災害に強く、土壁や板壁よりも耐火性に優れています。
- 施工方法: 平瓦を水平に並べて張る「いも張り」や、平瓦を斜めに張る「四半張り」が一般的です。また、技巧を凝らした張り方もあります。
- ステータスシンボル: 豪商の蔵では、なまこ壁とともに「ゑぶり」と呼ばれる漆喰細工が施され、施主の財力や漆喰職人の腕前を示すステータスとなっています。
なまこ壁は、日本の城や庶民の家などで見られ、その美しさと実用性から全国的に普及しています。もし興味があれば、静岡県松崎町や金沢城、新発田城などでなまこ壁の美しさをご覧いただけます。
カイコ(蚕蛾)は、チョウ目(鱗翅目)のカイコガ科に属するガの一種です。幼虫はクワ(桑)の葉を食べて育ち、糸を分泌して繭を作り、その中で蛹に変態します。この糸を人間が繊維素材として利用したものが絹です。カイコは絹の生産(養蚕)のためにクワコを家畜化した昆虫であり、野生動物としては生息しません。そのため家蚕とも呼ばれます。また、野生回帰能力を完全に失った唯一の家畜化動物として知られ、人間による管理なしでは生きることができません。
カイコは、成虫も翅はあるものの、体が大きいため飛翔に必要な筋肉が退化しており、飛ぶことはほぼできません。また、幼虫はほとんど移動せず、成虫も自己繁殖能力を持たないため、人が世話をしないと生きていけないのです。カイコは、絹糸を作るために飼育され、その存在は絹産業に欠かせないものとなっています。
カイコは、日本の伝統的な文化や歴史に深く関わっており、その美しさと実用性から多くの人々に愛されています。
山口百恵さんは、1959年1月17日生まれの日本の元歌手で、元女優です。彼女は1973年から1980年までの活動期間中に、ホリプロに所属し、CBSソニーからレコードをリリースしていました。本名は三浦百恵(旧姓:山口)で、芸能界引退後はキルト作家としても活動し、他の歌手への作詞も行っています。
山口百恵さんは、1970年代に国民的人気を博し、その短い活動期間にも関わらず2000万枚を超えるレコードを売り上げるなど、数々の伝説を残しました。夫は俳優の三浦友和さんで、長男はシンガーソングライター・俳優の三浦祐太朗さん、次男は俳優の三浦貴大さんです。長男の妻は声優・歌手の牧野由依さんです。
彼女の音楽や演技は今でも多くの人々に愛され、彼女の影響は現在のエンターテインメント業界にも見られます。山口百恵さんの作品や人生は、日本のポップカルチャー史において重要な位置を占めています。もし、特定の曲や出演作品についてもっと知りたい場合は、お知らせください。
津川雅彦さんは、1940年1月2日に生まれ、2018年8月4日に亡くなった日本の俳優、映画監督、芸能プロモーター、時事評論家でした。彼は芸能事務所グランパパプロダクションの代表取締役を務め、従五位の位階を持っていました。津川さんは1956年の映画『狂った果実』で本格デビューし、その後も多くの話題作に出演しました。特に1980年代以降は、伊丹十三監督の作品に多数出演し、存在感を示しました。また、2000年にはNHK大河ドラマ『葵 徳川三代』で主役の徳川家康を演じました。映画監督としても活動し、マキノ雅彦の名で3本の作品を監督しました。
彼の演技は多くの賞を受賞し、日本アカデミー賞で最優秀助演男優賞を含む複数の賞を獲得しています。津川さんはまた、経営者や事業家としても知られ、おもちゃの「グランパパ」の経営や、スコットランドの古城「ロックハート城」を日本へ移築する試みなど、多岐にわたる活動を行いました。
高橋英樹さんは、1944年2月10日生まれの日本の俳優で、タレント、司会者、そして会社役員としても活動されています。千葉県木更津市出身で、身長は181cm、体重は80kg、血液型はB型です。1961年に映画『高原児』でデビューし、その後、多くの映画やテレビドラマに出演しています。特に時代劇での活躍が知られており、『桃太郎侍』や『遠山の金さん』などが代表作として挙げられます。また、高橋さんは「ナイスガイ」という愛称で親しまれています。
高橋さんは、アイウエオ企画を経て、2019年2月1日からは長女の真麻さんと共にグレープカンパニーに所属しています。妻は元女優でアイウエオ企画取締役でもある小林亜紀子さんです。高橋さんは、その温和な人柄と俳優としての幅広い演技力で、長年にわたり多くのファンに支持されてきました。
吉永小百合さんは、1945年3月13日生まれの日本の女優で、歌手、ナレーター、司会者、タレントとしても活動しています。彼女は1960年代を代表する人気映画女優であり、10年間で70本以上の映画に出演しました。また、吉田正の門下生として数多くのレコードをリリースしています。夫はフジテレビのディレクターで、共同テレビの社長や会長などを歴任した岡田太郎さんです。吉永さんは、日本アカデミー賞で最優秀主演女優賞を複数回受賞しており、その演技力は高く評価されています。
また、吉永さんは反核活動にも積極的で、原爆詩の朗読を通じて原爆や戦争の悲惨さを伝え続けています。1986年から35年以上にわたり、全国各地で原爆詩の朗読を行い、平和への願いを訴えてきました。
甚の丸界隈(波浮の踊り子の坂付近)には、明治時代に建てられた旧甚の丸邸があります。この建物は大谷石の壁で囲まれ、なまこ壁が特徴です。無料で屋敷の中に入ることができ、当時の住居の様子を知ることができます。
この旧甚の丸邸は、石造りの2階建てで、外壁にはなまこ壁の漆喰装飾が施されています。島外から取り寄せた極太の木材で組んだ梁や柱、大谷石の外塀など、豪勢な暮らしぶりを垣間見ることができます。特に2階に上がることもでき、屋根のつくりなどをじっと見つめるのも楽しいでしょう。
また、波浮港見晴台も訪れる価値があります。波浮港には現在も古い木造家屋の町並みがわずかに残り、港東側の界隈を「踊り子の里」と呼ばれています。石蔵は大谷石でつくられていて、なまこ壁が続く町並みはどこかなつかしさを感じさせてくれます。
さらに、島京梵天というお茶屋さんも近くにあります。こちらはたい焼きの種類が豊富で、瓦屋根の雰囲気もあたたかいです。内装はソファやテーブルをうまく配置したオシャレな空間で、木の良さを感じさせる雰囲気です。大島名物の明日葉を練り込んだ、もちもちした生地が特徴のたい焼きも楽しめます。
旧甚の丸邸の周囲の壁に使われている石は、大谷石と呼ばれる栃木県産の石材です。この石は海路で運ばれ、石造2階建ての建物にはなまこ壁が施されており、伊豆下田の影響を受けた建築様式が見られます¹。大谷石は、その美しい色合いと加工のしやすさから、建築材料として日本全国で広く用いられています。旧甚の丸邸の壁も、その歴史的な価値を今に伝える重要な要素の一つと言えるでしょう。
大谷石は、その美しい緑色凝灰石の一種であり、多くの特徴があります。主な特徴は以下の通りです。
- ミソの斑点模様:大谷石には独特な茶色い斑点模様があり、これは火山灰に木片などの不純物が混ざり合い固まったものです。
- 天然ゼオライトの鉱石:ゼオライトはスポンジ状の小さな穴を持つ鉱石で、多くのマイナスイオンと強い遠赤外線を放出します。
- 柔らかく加工がしやすい:大谷石は加工がしやすく、灯篭やコースターなどのインテリア雑貨に加工されることがあります。
- 軽量:他の石材と比較して軽いため、建築材料としての取り扱いが容易です。
- 耐火性に優れている:1000℃以上の熱にも耐えることができるため、七輪や石窯などに使用されます。
左の写真の旧甚の丸邸の入り口から中に入りました。
下の左右の写真には、入口の左右に続く壁を写しています。
旧甚の丸邸見学を終え、階段の上から波浮港の風景を眺めました。ここからは「伊豆の踊子資料館」などが見えました。
浜乃湯で温泉三昧です♪ここの温泉は水着着用です。
伊豆大島の浜乃湯は、東京都大島町元町にある海岸沿いの日帰り入浴施設です。こちらの特徴は、男女混浴の露天風呂であり、利用する際には水着の着用が必要です。内湯はなく、更衣室には湯上がり用のシャワーが設置されています。営業時間は13時から19時までで、7月と8月は11時から19時まで開いており、年中無休ですが、天候によっては休業することもあるようです。
ホテルに戻りました。時間は午後5時52分です。もうすぐ、夕食です。